平成23年07月05日

 何でパチンコ屋が営業してるのに、節電せなあかんねん。あんなもん賎業やろ、とか考えていて。
 そしたら“職業に貴賎なし”という言葉が急に気になりだした。
 そもそも、どう考えたって職業に貴賎はある訳ですよ。場末のピンサロ嬢と総理大臣であろうと職業として同等である、なんて欺瞞でしかない。
 でもネットとかで色々見てみると意外とその欺瞞に捉われてしまっている人が多くて驚く。YAHOO知恵袋で「職業に貴賎はあると思いますか?ないと思いますか?」とか質問してる人、いるのな。
 しかも、それに対して「ないと思います。あるとすれば自分の仕事に対してのそれぞれの心がけ次第でしょう」とか答えてるヤツとかいやがんの。アホか。
 しかし、“職業に貴賎なし”という言葉に、我々をしてモヤモヤさせるのは事実だ。「貴賎はあるだろう」と言い切ってしまった後でもそのモヤモヤ感を残してしまう程に。
 そしてそのモヤモヤ感はこの言葉が奇麗ごとだからというだけではない気がする。
 この問題を色々と考えていたんだが、結論は“そもそも言葉の運用がおかしい”だった。
 つまり、“職業に貴賎なし”という考え方自体に問題があるんではなくて、一種の理想論としてはあっていいんだけど言い方が妙にキッパリしていてしっくり来ないという事ではないか。
 例えば、「酒の席で政治・宗教・野球の話をしたらトラブルになるよ」という言い方があるが、これを「他人と政治・宗教・野球の話をしてはいけない」なんて言うとだいぶ意味が違って来るだろう、的な。
 なので、今後、「職業に貴賎はないっていう態度で過ごしていないとトラブったりするよ」という言い方にするべきだろうと思う。一気にマイルドだw